2017/08/15

終戦記念日

1962年生まれは終戦の17年後に生まれたことになるのだそうだ。
そう聞いて、これまで漠然と感じていた「戦後○○年」が急に自分ごとのように思えた。

特に仏教を篤く信仰しているわけでもないし、絶対神というようなものもまた信じられず、
目に見えるもの肌で感じるものしか信用できなかったり、信じたいものしか信じられないタチだし、
父親が亡くなってからは、父は常に自分のなかにあると思っていたりするので
墓や仏壇というようなところに父親がいるとも思えず、
とりたてて「そんな日」だったりする彼岸やお盆といっても
「そうするものだ」というような慣習を頑なに守ろうとする母親の希望にそうために
実家に行ったり墓参したりしている。

























「仏さんが帰ってきてはる」とか言うている老母の声を背中で聞き流して、
倉庫代わりに実家に置いたままにしている漫画や大人になってからの荷物の具合をあらためながら
戦争が終わってからたった17年で自分は生まれたのかー、などと考えていた。
敗戦からの復興の世の中全体の勢いだとか、まだ整っていないゆえのどさくさや、
現在ほど格差もなくみな一様に生活レベルを高めようとしていた気運があったにせよ、
病弱だった父親を叱咤しながら不自由のない暮らしをさせてくれていた母親を思うと頭が下がり、
震災後の同じくらいの時間もただただ漫然と生きてきた自分を思うと、
自分はなにをしてきたのか、なんのために生きてきたのか、と存在の意味さえ見失う。
震災直後に生まれた娘ももう成人して社会人となって、自分よりも賢くたくましくもなった。
かつて「生きていてよかった」と唯一思えたような喜びも現在の日々にはなく、
また自分一人生きることにさえ汲々としている者に他者に対して何ができるわけでもなく、
今生になにを残せたわけでもないけれど、もうそろそろいいかなあ。
などと自分に対して諦観を感じた終戦の日。けっこうしんどかった。

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