2015/07/03

Cobain/Montage of Heck

ドキュメンタリー映画というよりも、音楽、フィルム、イラスト、日記、ワードなど、カートコバーンの遺物で作られた映像作品。
軽蔑されることを懼れ、最も求めるものから拒否され裏切られることを怖れ続けたナーバスな魂が、ひしひしと伝わる。




2015/07/02

悪人正機。


人は犬ではなく猫でもなく、まして魚や鳥でもない。
魚のように泳げる人がいて鳥のように跳ぶ人はいるけれど、それでもおなじ人であることには変わりなく、
みなおなじ地面の上に生きていて、能力や知識の差で、ましてや思想や生き方や性質で区別するものではないと仏教は説く。
「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや」善人とは能力や信心の高い人、悪人とはその逆。
仏の前ではバカもカシコも善良な人も悪徳な人もみな等しい魂をもつ。神の下においてもおなじだと思ったが。



人に対しては須く平等に与うるべしが信条だったはずの人も、傲慢な意識に囚われてしまうと選民意識でものをみるようになるということか。
謙虚さを欠けば耳に痛い言には腹が立ち、おそらく一番簡単で世俗的な方法はそれを遠ざけたり関わらないようにすることだろう。
「あのヒトは種類の違うヒトだから、あんまり関わんないほうがいいよー」とは、日本中の喫茶店で毎日何百回交わされている言葉だろうか。

思想や思考、感受性や慣習の違いで人を区分け、壁をつくって拒絶するから対立を生む。
気にいらないものを見なくてすむように、意に染まないことを遠ざけるように、消し去りたいという意識や態度は、
いくら願ってもなくなることのない対立や紛争の、もともとの根っこにある対処のしかたではないのかと思う。
そういう意識が大きく集団的にまとまって攻撃的に転化したとき、国家間や宗教間の戦争に至るのではないのかと。

2015/06/23

PX3入賞しました。



PX3-The "Prix de la Photographie, Paris" 。
FINEART部門 still lifeカテゴリ−にて銀賞入賞しました。

2010年、写真を撮り始めて2年くらいでアマチュアでエントリーした初めての国際写真コンペがPX3でした。
BOOK部門で手づくり写真集が銀賞、電車内スナップのシリーズが金賞を受賞し、
盗撮まがいの撮影のしかたとレーザープリンター出力+自力製本での写真集が評価されたことで
我流でやってきた自分の表現のしかたが、そうそう間違ってはいないのだと思われてとても勇気づけられたコンペです。

翌年からはプロ部門へのエントリーを続けてはいましたが、ユーザー投票によるpeople'S choiceでは入賞はあるものの
本選では佳作にも入選できないという状態でしたが、ようやく結果を出すことができました。
自分の写真が他者から評価されることの原点と言ってもいいコンペでの入賞は、少なからぬ感慨をおぼえます。

[px3]announced winner

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入賞作品は今年1月の写真展「KOBE*HEART」に、「蓮は泥より出て泥に染まらず」というタイトルで出品した
500×1,500mmの長尺サイズ写真の別テイクのシリーズ。

2015/06/11

選択



たぶん間違ったほうを選んでしまった。バカだなあ。
まあけど、しょうがない。
心が求めるものに正直に生きることにしたからな、そのときから。

2015/06/06

あたたかいひかり。



どこにいても、どんなにキラキラするものの中にあっても、
自分にはひとつだけ違う色に輝いてみえるあたたかい光を、
けっして見失うことはない。

2015/06/02

夜中に電話。

1、2ヶ月に一度かかってくる夜中の電話。
まるでリサーチしてるかのように最悪に落ち込んでるときにかぎって。最高に自己嫌悪になってる日にかぎって。



昔から「なんでそんなことするんですかー」「フツーはそんなことしないでしょー」と言われがちで、
自分がおそらく一般的常識的な判断をすることが不得手な人間なのであろうことは薄々気がついてもいたし、
社会に出てからも早い時期に組織からぬけだしてひとりで仕事をはじめていて、
ある時期からは人が集まる場面や場所を避けるようになっていたりもしたので
人と人との関わりや交わりの「フツー」や踏み込んではいけない部分だとか
越えるべきではない線だとかというようなものを理解しきれないまま、すっかりいい歳になってしまった。

変わり者であることは自認していて、組織や集団の規範やマナーに拠ることがいいとは思ってはいないけれど、
それでも世捨て人にはなりきれぬ自分のこともわかっている。
たとえば人を思いやることであったり、人を傷つけぬよう失礼のないように配慮することであったり、
人の心理や感情に関わるような事がらについての判断を間違って、
言わなくてもいいことを言っていたりしなくていいようなことをしているということに気がついたり
指摘されたりすると、ハンパない自己嫌悪に陥る。
常識がないやつだなあとかめんどくさいオッサンだなあとか、と非難されているならまだいいが、
あなたは悪くない悪気がないのはわかっているただ他の人や私たちと感覚や基準が違うだけ。
と、やさしい言葉で突き放されるのはなかなかキツイ。その世界からの排除を宣告されるようで。

まだ繋がっていたいんだな。と、きれた電話を手繰りながら自問する。