2016/06/20

雨あがり





「送りました」っていうメールが 受信できてないというのが2回ほど続けてあって、
それが進行真っ最中の仕事の要件で同じ相手からのものだったので、
「こっち送信済みになってますけどねー」つって、ため息まじりに言うため息があんまり深いもんだから、
「他の人からのメールは受信できてるのになあー」とか思いながら、
とりあえず不安は解消しとかなきゃと思ってプロバイダのホスティングサービスに問い合わせてみたところ
どうもこちらのアドレスとパスワードを使ってどっかからスパムメールが送られてたようで、
そのどっかの誰かがアクセスしてる間はこちらからメールを読みに行こうとしてもアクセスできず
その間に受信したメールはジャンクメール扱いになっていたらしい。

小一時間、電話と画面共有でリモートサポートを受けながらメールアカウントの設定をやり直して、とりあえず解決。
その間受信できずにジャンク扱いでサーバーにたまっていた200通弱のメールを一気にDLして必要なものだけ残すべく選り分けて取捨。
メールブラウザに表示されている「未読」の10というのが気になって、
数年前からのメールを全部チェックして未読のままでアーカイブされていたものを確認して、それもまた不要なものを消す。
という作業をしていたら、仕事メールに混じって私信のメールもちらほらとあって
大掃除の手紙や手帳の類と同じく、眼に留まったメールをついつい読みふけってしまったりする。
今はもう音信不通になってしまったような人とのやり取りや、自分が書いてることや忘れていたような相手からの言葉がまたよみがえり
感慨深いやら、現在とはずいぶん違う当時に思いを馳せてどこで間違ってしまったのか、と悔いてみたり。

仕事相手や取引先は、継続して仕事をしていれば依頼する方もされる方もマンネリ化してきて
だいたい3年くらいで状況や方向性が変わったり、新しいイメージや企画を求めるようになるので
そこでうまく対応できなかったり、とりあえず手を変えてみようかというようなことになって依頼が来なくなる。
こちらはそうそう大きくはやり方を変えることもできないので、案件依頼の連絡が来なくなれば
「ああ、そろそろそういう時期なのね」と割とあっさりと身をひくようにしているのだけれど、
個人的なつきあいでも、3年というのはけっこうそんな感じの時間でもあるようで
密に連絡が来ていたり、なんだかえらく興味や関心を持たれてるなあというような人でも、
だいたい3年くらいで飽きられたのか他に興味が移ったのか、なんとなく離れていく。
自分は人についても物事についても、一気に入れ込んだり距離を縮めるというようなことが滅多になくて
ゆっくりと近づいてじわじわと馴染み、興味や関心を持てばそうそう飽きるということはないので
こちらが十分に思い入れを持った頃には相手からの関心が失せているというようなことも、ままあって
そういうところもまた、人づきあいがあまりうまくできない理由のひとつなんだろうなあと自覚する。

ま、とにかく昔のメールなんて読むもんじゃないなあ。
梅雨の終わりころの雨あがり。

2016/05/14

100年生きている工場。

「工場萌え」ではないし、ただただ廃屋や古いものが好きなわけでもない。
生きていて使われていて働いているからいいんです。
工作機械も道具も、工場の建屋そのものにも、それが存在する理由があってそういう形になっている。
機能美であったり使い込まれて変形したり汚れたりした働いてきた歴史が美しい。
人物スナップや美術作品を撮るのと同じく、場所や物についてもいつも美しいと思う部分や形、
対象物が輝いて見える光や空気をさがしていて、自分なりにここだこれだと思う絵が
それがいちばん魅力的だと思えるような絵になっていれば嬉しいし、
その美しさが多くの人にも伝わって、
そのものその人その場所が魅力的だと思ってもらえればさらに喜ばしい。





























株式会社 サッパボイラ

2016/05/01

卯月晦日。


歩くのが苦じゃないタチの大阪から来た 奈良出身の人を案内して、春日野道から二宮筋まで夕暮れの変哲もない道を歩く。







特になにがあるというわけでもない道すがら、気になるものがあれば撮る。




しばらく川を眺めていたりする。それを眺めていたりする。





オススメの壁。「変電所みたいですね」「そうなんかなあ。あーそうですね」 






二宮商店街のアーケードはいい感じに傷んでいる。このままで。もうちょっとこのままで。

2016/04/16

White Lilac





大きな揺れが続く。
ただただ不安に駆られていた「あの朝」を思い出して現地の人たちを想うけれど、
まだ、当時の自分には未来への不安や諦めは今よりも少なかった。
若さは強さ。邪気のない純潔さもあった。

新川さん、大丈夫かな。

2016/03/23

春という季節。桜の少し手前。



死にかけてたひとが少し元気そうになっていて、よかった。
まだまだ大丈夫なんだろうなとなんとなく思っていたひとが、あっけなく亡くなっていたことを知る。
少し笑いさえ混じえながら淡々とした最期を語るもっとも親しかったひとの
その落ち着いた様子にもまた少し安心する。

とても悲しい夢をみてやるせなくて声を荒げている途中で眼がさめる。
たぶん寝言じみた大きな声も出してたのだろう。
思春期の昔からいつも、どうにもならない思慕や想いは悲しい夢をみて
現実に立ち還ってみれば本当にどうにもならないということに気がついて鎮まっていくのが常だ。
こんどもまたそうなのかと思いながら、心の流れ動いていくのにまかせてみる。
寂しいなあとは思うけれども。
山中で手折ってきたコブシの枝は、数日で花を開かせてはすぐにもう散ってしまった。
そもそもはじめからそれを目にすることもなければ手折ることもなかったのに。
永遠に続く喜びはなくて、関わりが増えるほど悲しいことや煩わしいことも増えてしまう。
最近あんまり笑ってないなあ。