2015/07/11

愛。

亡くなった石田長生さんについて、金子マリさんがその間際の様子と自分についてブログに書いている。

「金子マリの心浄土な日々」http://kanekomari.com/kokoro.html

「途方にくれていた自分を、去り際に石田長生が救ってくれた」と。
容態が急変したと聞いて東京から駆けつけて泊まり込んでいた時点で、マリさんはもう救われていたのだと思う。
自分のなかにある盟友・石田長生への愛に衝き動かされたこと、それがマリさんの「途方」からの快復だったんだろうなあ。
強く結びついた魂。

最後に観た石田長生のライブは昨年京都での有山と3人の「金子な5日間」だった。観ておいてよかった。


2 件のコメント:

  1. 亡くなってから石田長生さんの音源をずっと聴いてるんですが、改めて偉大な魂を持った稀有な音楽家だったなと思い知らされてます。
    そしてもうBAHOも平成トリオも観れない、祝春一番でも会えないという現実に呆然としています。

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  2. 大上留利子さんがFacebookで故人を偲んで葬儀の様子や亡くなるまでの数年を書いてくれていて、数年前に結婚した奥さんと犬の散歩をしながら「幸福やなあー」とつぶやいていたというエピソードを紹介されて「そんな普通のことがしみじみ幸福と思うような孤独を抱えて生きてきたんやな」と言われてます。
    死は必ず人に訪れますが、それが早すぎたりやり残したことがあるような悔いが残るようなものでなければいいなと思うし、その人について語ること、折りに触れて思うこと、はもうこの世には存在しない故人が確実にこの世に生きて存在していたことへの、何よりの証しだったり供養なのではないかと思っています。
    ミュージシャンやアーティストは作品で自分の魂の残滓を残すことができますが、ひとりの人としての在りし日の姿や思いを遺された人々が語ることもまた、魂への敬意や思慕としてあっていいのではないかと思います。なぜならボクたちはまだ生きていて、もう彼の存在は「無」になってしまったのだから。

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