日常に尾をひくような長く苦しい夢をみて目がさめた朝、仕事場へ向かう道の街路の根本に百合の花がひと茎置かれているのに気づく。
誰かが亡くなった事故かなにかへの手向けの花かとも思ったけれど、移転してから2年半、ほぼ毎日通っていたところで、そんな事故は記憶にないし、
それ以前にあったできごとへの供養の花かとも思ってみたけれどそれにしては無造作で、ひと茎だけというのも寂しい。
そんなことを考えながら通りすぎて、思い直してもどって写真に撮る。
姿形は変わらぬままで、中身がまるで別人のように変わってしまった人をそれでもそれがその人だとして、
以前と同じように思おうとしたけれど、求められたのはそれにあわせてこちらも変わることだった。
集団や世情にあわせて己を変えることがなかなかできないタチで、自発的な変化はあっても他者から強いられれて意識が変わることはまずない。
まして感情や心情といったものは、そうそう自分でどうにかできるものでもないわけで。
もう二度とシンクロすることがないだろう人に対する変わらぬ思いは、彼岸の人へのそれと同じとして喪失感をなだめすかす。
いまだに夢に顕在化しては胸をざわつかせる自身の意識下の変わらぬなにかも、もう迷うことなく彼岸へおくるべし、とひと茎の百合を手向ける。
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